鵜の瀬

小浜鵜の瀬給水所

ときおり時雨れる雪にあいながら鵜の瀬公園へ。小浜は水のおいしい所だそうですが、給水所の水を飲んでみたら、軟らかい味のある水でした。さすが水がおいしい小浜と自慢するだけのことはあります。

この給水所の奥に資料館があり、お水送り関連のパネルや人形を展示してあり、行事のビデオも見られるようになっています。暖房が効いていて、ホッと生き返った気分になりました。

小浜鵜の瀬

一昨日3月2日にはこの場所でお水送りの神事が執り行なわれたので、そのとき火を炊いた残骸の丸太が残っておりました。

この若狭小浜の旅を計画した時、お水送りの神事を知り、是非見たいと思い3月2日の宿泊をとるため、ホテルを何ヶ所もあたったのですが、全部1年も前から満員です、と断られ残念ながら3月4日からの計画になったのです。それで名残りの丸太を見て想像するだけでした。

小浜城天守閣跡

お水送りの神事は神宮寺で行い、この鵜の瀬まで夜中に松明を持って「閼伽水」を運ぶ行列をおこない、ここから川に注ぐのだそうです。そして奈良の東大寺の若狭井までながれ「お水取り」の行事になり、奈良東大寺二月堂のご本尊に供える「閼伽水」にとの言い伝えです。

タクシーのドライバーさんは「川は海にそそいでいるのですが、、、。」と言っておりました。

良辨和尚

小浜良弁和尚生誕の地

このあたり小浜下根来区は、良弁和尚の生まれたところとの言い伝えがあります。良弁和尚は持統3年(689)に生まれましたが、小さい頃鷲にさらわれて奈良の金鐘寺(東大寺の前身)で育てられ、法相宗を義淵に学びました。(伝説 ワシにさらわれた子)

東大寺では新羅の僧審祥を講師に招き、華厳経講を開いて華厳宗を広めました。その後、東大寺の建立に尽力し、初代別当となり、宝亀4年(773)84歳で亡くなりました。

良弁の弟子実忠は奈良の東大寺のお水取り行事をはじめた人ですが、師匠の良弁が若狭出身であり、若狭遠敷明神が魚つりをしていて「修ニ会行事」の勧請におくれたお詫びとして十一面観音にお供えする閼伽水を送ることになったという逸話から、二月堂の井戸を「若狭井」となづけたのだそうです。

ワシにさらわれた子

下根来の村里で、夫婦が赤ん坊をフゴに入れて畑しごとにむちゅうになっていた。
すると山のみねから大きなワシがまいおりてきて、赤ん坊をフゴのままさらって空高くとびたった。夫婦はワシを追ったが山のむこうに見えなくなった。

子をさらわれたこの夫婦は泣きながらさがしにでかけた。
どこへ行っても、だれにたずねても、ワシにさらわれた子どもを見かけた人はなく、おしえてくれる人もいなかった。

ふるさとの若狭をあとにして、わが子をさがしあるいてあちこち旅しているうちに、いつのまにか夫婦はとしをとってしまった。
それでも子どもにあうため、あきらめずに旅をつづけた。

あるとき道連れになった旅びとが「奈良の東大寺の杉の上に、フゴに入った子がひっかかっていたという 話をきいたことがある。」とおしえてくれた。

それをきいた夫婦は「きっと、その子がわたしたちの子にちがいない」と東大寺へといそいだ。野みち山みちをかけるようにいそいだ。

東大寺の和尚さんにあい、子どもをさがして若狭からはるばるきたことを話した。
和尚さんは「この寺の大杉にひっかかっていた子というのは、この小僧です」と夫婦の前によびよせた。

夫婦がその子が着ていた着物やフゴのことをたずねると、和尚さんは着物とフゴをだしてみせた。それをみて夫婦はわが子にまちがいないと、泣いてよろこんだ。

すると小僧は、なつかしそうに「若狭根来の鵜の瀬の水がほしい」といった。
このことから、奈良の「お水取り」行事の水は、若狭からくぐって行くという、いいつたえがうまれた。

この小僧は、やがて良弁和尚という名高いお坊さんになった。

以上が小浜ふるさとの民話から のお話です。

白石神社

小浜・白石神社

境内には小浜市指定天然記念物の椿が群生しています。今は雪があちこち積もっていていました。山口誓子の歌碑や良弁和尚の生誕の地としての碑がありました。

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