
タクシーは雪が降ったり、晴れたりの時雨をものともせず羽賀寺(高野山真言宗)へ。本堂の前は雪かきをした雪が背の高さよりも高く集められていました。こうでなければ雪国に来たかいがないというもの、と喜んでお参りしました。

この鳳聚山羽賀寺の本堂は入母屋造桧皮葺で室町時代に建てられ、国の指定重要文化財に指定されています。霊亀2年(716)に、この地に鳳凰が飛来し、その羽根を残すというめでたい出来事(伝説) を喜こばれた女帝元正天皇の勅命により行基が開山したと伝えられています。
天暦元年(947)山崩れのため土砂に埋りましたが、翌年再建され村上天皇の勅願寺となりました。盛時には寺坊18坊あったそうです。現在の本堂は、後花園天皇の勅命により文安四年(1447)奥州十三湊(青森県)安倍(安藤)康季によって再建されたものです。
羽賀寺本堂にはご本尊の木造「十一面観世音菩薩」が厨子のなかに立っておられました。
平安初期のものだそうですが、秘仏で開帳していなかったとかで、保存状態もよく、色もきれいにのこっています。
女帝元正天皇の等身像とかで美しいお姿です。国指定の重要文化財です。
羽賀寺本堂内は撮影禁止でこの美しい十一面観音菩薩像はもちろん、他の仏像も写真には写せませんでした。
しかし、今回調べることがあって若狭おばまの観光協会のホームページからコピーできる事を知りここにそのお姿をのせることができました。若狭おばま観光協会さんには感謝します。
羽賀寺本堂十一面観音の厨子の横には「木造千手観音立像」のお姿がありました。
長寛三年(1165)仏師勝巌作。
国指定の重要文化財です。
(写真は若狭おばま観光協会からのコピー)
羽賀寺本堂の「木造毘沙門天立像」です。
治承二年(1178)僧静秀作。
こちらも国の重要文化財に指定されている仏像です。
(写真は若狭おばま観光協会からのコピー)
本堂の外側のケースの中には「紙本墨書芳賀寺縁起」が展示されています。
陽光院太上天皇御筆。
奥書は後陽成天皇勅筆。
国指定の重要文化財です。
羽賀寺には「天狗のつめ」という伝説があると読みましたのでどのような伝説だろうと興味がわき、若狭小浜市役所の観光交流課に問い合わせたところ、下記のような回答がきました。転載します。
天狗伝説:郷土研究会の書物より抜粋致します。
『むかしむかし、お寺の和尚さんが付きの夜さりに、縁側でひとりで碁をうっていたと。
そこへ大きな天狗がやってきたそうな。
「誰じゃー」
「わしじゃ、この山の天狗だ。」
「何の用じゃ。」
「碁の相手にきてやった。」
和尚さんは大喜びで
「誰か相手がいないかと、思うておったとこだ。」
「そんでは和尚を負かしてやろう。」
「なにを天狗めッ、赤い顔して逃げ出すなよ。」
「なにを糞坊主。」
和尚さんと天狗はもう、けんか腰で碁を始めましたそうな。
はじめは天狗が強くて、和尚さんはウンウンうなっておりましたそうなが、
だんだんと和尚さんがもりかえして、
天狗が負けてきましたと。
「その石まった。」
天狗が恐ろしい声でどなったと。
和尚さんはびくともせずに「まったなしじゃぞ、天狗」
「なんじゃと」天狗は怒って碁盤にするどいつめをたてた。
「天狗負けたぞ」
和尚さんの大声にびっくりした天狗は、真っ赤な顔を真っ赤にして、
裏山に逃げ帰ったそうな。
つめをたてた碁盤は、いまもお寺の宝物として、残されていますそうな。』
天狗のつめ という伝説です。
以上が観光交流課から返信されてきた伝説のあらすじです。よく何百年も伝えられ、残されてきたものです。担当の方に感謝です。
羽賀寺本堂に安置されていた地蔵菩薩坐像です。寄木造りで高さ135.7cm、平安後期(12世紀)頃の作とみられています。
丸く大きな頭で、薄く口紅をさしたような赤い唇をしており、女性的なお地蔵様でした。
県指定重要文化財です。
(写真は若狭おばま観光協会からのコピー)
羽賀寺 福井県小浜市羽賀
電話0770-52-4502